DTSについて

DTSの歴史

設立から40年を超え、さらに成長を目指しているDTS。
人にそれぞれキャラクターがあるように、会社にも育ってきた経緯の中で培ってきた『らしさ』がある。

創業、そして事業が軌道に乗るまで

大量のデータ処理を行うために企業が相次いでコンピュータを導入し始め、急速にITが成長をはじめた1972年、株式会社データ通信システムは誕生した。
創業者の笹貫敏男は誠実で意欲的な人物で、前職時代にもたくさんの後輩たちからその人柄を慕われていた。やがて、そんなかつての後輩が「もう一度笹貫のもとで仕事がしたい」と集まりはじめた。それまで、大手通信会社からの受託案件中心だった事業も、後輩たちが集まったことで金融業界との取引が大きく拡大した。
設立6年目には、旧都市銀行3行との直接取引がはじまり、社員も100人を超えた。
金融業界のお客さまも、笹貫さんの誠実さや意欲が浸透していた当社の仕事の進め方を高く評価。順調に経営が軌道に乗っていった。
二代目社長の杉山喬一はその想いを受け継ぎ、拡大・成長に向けた礎を築きあげた。

大規模案件の進行を体得しつつ、今ある会社の基礎をつくる

1993年以降、得意としていた金融・通信業界向けの案件において規模の大きな開発にかかわるようになり、より深い知識を得ることとなった。その結果、さらに的確でニーズを先取りしたシステムを提案できるようになっていった。
一方、産業分野など新たな領域への進出も徐々に広がった。ただ、長年の付き合いになる金融業界・通信業界、それぞれの標準的なシステム開発に対する認識の違いから、プロジェクト進行に課題が散見されはじめた。
そうした状況を経験することで、納期順守を含む品質管理・向上に対する重要性が高まり、業界やクライアントの状況に左右されない、自分たちの「開発基準」の確立に向けた動きが、社内でスタートした。これはのちに、約10年の歳月を経て、形になることとなる。
「間違いのないものを、納期を遵守して提供する」「高い品質でサービスを提供する」という実績を積み重ね、お客さまからの信頼を得ていった。

時代の奔流の中で、持続成長の環境をつくる

2000年以降の数年は、時代背景もまさに“激変”と言っていいものであった。
まず、「2000年問題」という、情報化された社会がはじめて迎える未知の大きな課題があった。もう一つは金融再編-大手都市銀行の統合ラッシュ。私たちは高難易度のプロジェクトにおいて非常に忙しい日々を過ごしていた。
両者に共通して存在していた特徴は、「有期的な課題であること」。つまり、2000年問題はその対処が終われば終了であり、銀行の統合も一時的に極めて忙しくなるが、安定すればピーク時ほどの人手を必要としなくなる。銀行統合に携わったメンバーは新たなプロジェクトへの異動を余儀なくされる。
そこで進められたのが、教育の充実であった。金融系の開発業務を終えた社員にJavaなどの知識と技術を授け、異なる領域の開発に従事できるよう再教育する仕組みを創りあげたのだ。その教育に関する取り組みは、やがて教育を事業とするグループ会社「株式会社MIRUCA」の設立にも結び付いたのである。
人を育てる風土、人が育つ環境。これも私たちの『らしさ』と言って良いのではないだろうか。

新たな価値を作り出す MADE BY DTS

2003年には社名を「データ通信システム」から「DTS」と改称。
三代目赤羽根靖隆により「新しいビジネスをつくる」という目的に向かって積極的に動いた時期であった。システムの受託開発・運用管理といったこれまでの主力事業に加え、パッケージソフトの販売・プロダクト販売・マーケティングの基盤構築等の新市場開拓に取り組み、2005年からの2年間で売上200億円増を達成した。
その後、リーマンショックによる世界同時不況の試練の中、2010年に西田公一が社長に就任した。この局面において西田は「変革」を経営戦略として掲げた。
競合の激しいIT業界でDTSが更なる成長を遂げるために、新しいサービスを企画・提案できる企業へと生まれ変わることを目指したのだ。DTSならではの『新たな価値を創り出す』ことを経営ビジョンとし、社員一人ひとりがDTSを変えていく動きが生まれた。
その挑戦はDTSだけにとどまらず、DTSグループの連携を強化することで最大のシナジー効果を狙う。DTSグループが一枚岩となり変革を続けていく。